2014/03/19
彫刻とふれあってみよう!!~街の中が楽しくなる鶴見の彫刻群
鶴見区には第3回横浜彫刻展YOKOHAMA BIENNALE’93
入賞作品の11点がJR鶴見駅東口から潮鶴橋にかけて点在します。 第3回横浜彫刻展YOKOHAMA BIENNALE’93入賞作品の11点がJR鶴見駅東口から潮鶴橋にかけて点在します。20年前、1989年(昭和64年)より彫刻と景観のコミュニケーションをテーマに横浜彫刻展ヨコハマビエンナーレーがはじまりました。
野外彫刻のコンクールを開き優秀作品を市内各地に設置していくことで、文化的な景観を創造し地域のシンボルにしようという狙いです。
1回のコンクールごとに作品を設置場所をあらかじめ設定し環境に合った彫刻を審査員が選ぶ方式で、こうたコンクールは全国的にもめずらしい。
1989年1回目は港北区へ、太田緑道付近の緑の豊かな環境、2年後2回目91年港南区の港南台駅から本郷台駅へ続く線路沿いへ、93年鶴見区、96年栄区のいたち川に置かれています。このBIENNALEはイタリア語で2年に一度の展覧会で国際的なものです。4回で終わり、現在のトリエンナーレーに移行しました。 応募数295点の中から26点が選ばれ、11点が鶴見区に設置されました。鶴見駅東口から潮鶴橋水際緑道にかけて置かれていますが、 応募の際に大きさを制限しなったため彫刻家は大変喜びし、大きな作品を作りました。大きく、ビルとビルの間に調和して置かれているのが特徴です。
どれもが自由でのびのびとした現代彫刻です。 彫刻の歴史から見ると、街の中の裸の女性像が彫刻の一般的な形だったが、これらの作品はそれぞれイメージの違った現代彫刻の時代になりました。彫刻自体が美術館から開放され外に出た作品で、個性的な作品が街の中に置かれ街の中が一気に楽しくなりました。 市民がいつでも自由にふれあうことができます。
動画でご覧下さい。
入賞作品の11点がJR鶴見駅東口から潮鶴橋にかけて点在します。 第3回横浜彫刻展YOKOHAMA BIENNALE’93入賞作品の11点がJR鶴見駅東口から潮鶴橋にかけて点在します。20年前、1989年(昭和64年)より彫刻と景観のコミュニケーションをテーマに横浜彫刻展ヨコハマビエンナーレーがはじまりました。
野外彫刻のコンクールを開き優秀作品を市内各地に設置していくことで、文化的な景観を創造し地域のシンボルにしようという狙いです。
1回のコンクールごとに作品を設置場所をあらかじめ設定し環境に合った彫刻を審査員が選ぶ方式で、こうたコンクールは全国的にもめずらしい。
1989年1回目は港北区へ、太田緑道付近の緑の豊かな環境、2年後2回目91年港南区の港南台駅から本郷台駅へ続く線路沿いへ、93年鶴見区、96年栄区のいたち川に置かれています。このBIENNALEはイタリア語で2年に一度の展覧会で国際的なものです。4回で終わり、現在のトリエンナーレーに移行しました。 応募数295点の中から26点が選ばれ、11点が鶴見区に設置されました。鶴見駅東口から潮鶴橋水際緑道にかけて置かれていますが、 応募の際に大きさを制限しなったため彫刻家は大変喜びし、大きな作品を作りました。大きく、ビルとビルの間に調和して置かれているのが特徴です。
どれもが自由でのびのびとした現代彫刻です。 彫刻の歴史から見ると、街の中の裸の女性像が彫刻の一般的な形だったが、これらの作品はそれぞれイメージの違った現代彫刻の時代になりました。彫刻自体が美術館から開放され外に出た作品で、個性的な作品が街の中に置かれ街の中が一気に楽しくなりました。 市民がいつでも自由にふれあうことができます。
特に大きな作品2点に関しては設置が難しかった為、市民参加にによる「鶴見まちかど発見塾」にて討議し決められました。
(平成7年、企画調整室が「鶴見まちかど発見塾」の参加者を募集した。)
山田瑠璃子さんは2014年2月に永眠致しました。
山田さんは常に「彫刻とふれあってほしい」と話していました。
ご冥福をお祈り致します。
大賞
「三つの扉」 斉藤史門
優秀賞
横浜市長賞 大地の刻「風景の門」 横山 徹
横浜市会議長賞 「億万年の骨の詩」 寺田 武弘
横浜美術館賞 「循環源象-鉄-NO.16」 藤井浩一朗
動画でご覧下さい。