2014/08/07

矢向・江ヶ崎 歴史資料室の建設と世代間交流の場作り ~「ヨコハマ市民まち普請事業」1次コンテスト通過

市が地域のまちづくりを支援する「ヨコハマ市民まち普請事業」の2014年度1次コンテストが6月21日に西区で開催され、鶴見区の矢向・江ヶ崎 歴史資料室を作る会の整備提案が一次コンテストを通過した。出場した7団体中、5団体が来年2月の2次コンテストに進む。

まち普請事業は、地域の特性を生かしたまちづくりを支援しようと市が実施しているもの。身近なまちのハード整備に関する提案を募集し、2回のコンテストを通過すると最大500万円の整備助成金が交付される。

 提案した「矢向・江ヶ崎 歴史資料室の建設と世代間交流の場作り」について、当会の代表、鴨志田潔さんにお話を聞いた。  

江ヶ崎界隈は工場の跡地に大型マンションが相次いで建ち、若い世帯を中心に人口が急増した。しかし、昔から住んでいる住人と移り住んできた若い人たちの家族と地域でのつながりがもてないなどの新たな問題がある。

そこで、町に愛着をもってもらうには町の良いところを見てもらうのが一番と考え、去年の2月、社協と町内会とで江ヶ崎ミステリーツアーを企画した。

鴨志田さんの自宅には昔の古い写真や農具があったので、「江ヶ崎郷土資料室」と称し、ツアーのワンポイントになった。実際に農具にさわったり、使ってみたり大盛況だった。
写真:鴨志田潔さん 子どもたちは大八車に大喜びだった。

このミステリーツアーがきっかけとなり、大正から昭和までの矢向・江ヶ崎の風景や行事などを撮影した写真を、地域住民から集め、矢向ケアプラザでも写真展が開催され、集めた写真は住民らが中心となって来年3月までに冊子にまとめる予定になっている。古い農具や集めた資料や写真を保存し、もっと自分の住むまちの歴史を知って欲しいという思いから歴史資料館を造るという話に発展した。

歴史的な資料を常時展示し、触れて使えるのはもとより、多目的スペースも設置。赤ちゃんずれでおむつ交換もでき、多世代で気軽に利用しやすい歴史資料館を検討している。

建設地は新鶴見小学校コミュニティーハウス横を検討
新鶴見公園、体験学習園、新鶴見小学校に挟まれた場所。
(新鶴見操車場跡地)
小さい子ずれの親子が遊ぶ公園、子ともたちが野菜作りを体験できる農園のすぐはす向かいであり、ここに歴史資料室が完成すると本当に便利だ。

2次コンテストを通過し仮に整備助成金が交付されたとしてもまだまだ十分ではない。不足分はどうするのか?鴨志田さんにお聞きしたところ
「住民の寄付を考えている。金額の大小は関係ない、大勢の人に 寄付してほしい。寄付を集めることは多くの人に知ってもらうチャンスでもある。」と話す。

 

20年前から鴨志田さんらは地域の世話人会で体験学習農園を運営し、子どもたちと一緒に、米、じゃがいも、枝豆、トマト…色々な農作物を育ててきた。千歯扱(せんばこき)は毎年もっていって脱穀をし今でも十分使える。実際に農園に行くと、ゴウヤや稲が青々として、とても手入れが行き届いていた。

まち普請事業は、地域の特性を生かしたまちづくりを支援しようと市が実施しているもの。施設の設計や工事など整備面の助成が特徴。自治会や市民グループなどさまざまな形で地域住民がアイデアを出し合い応募。2段階にわたる公開コンテストで専門家の選考を受けた提案に対し、最高で500万円の整備助成金を交付している。選考のポイントは、創意工夫、実現性、公共性、費用対効果、地域の街づくりへの発展性など。

 ヨコハマ市民まち普請事業 http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/machibushin/

●鶴見区での整備事例
岸谷公園を中心とした、まちの防災・防犯拠点の再整備http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/machibushin/17/seibi/kishiya.html 

地域ぐるみで地域開放型コミュニティ・サロンをつくるhttp://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/machibushin/21/seibi/toyooka.html 鶴見川大曲、花と緑と水の広場づくり http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/machibushin/21/seibi/oomagari.html 

矢向・江ヶ崎地域は600年続いた稲作地域。大きく変わったのはここ100年である。矢向地区は江戸時代には、二ヶ領用水の恩恵を受けていた。大正の頃まではほとんど農地であった。鶴見川と多摩川に挟まれた良好な土地だった。

矢向周辺の鶴見川沿いには明治中頃から昭和15年頃まで10余りのレンガ工場が操業していた。この辺りは粘土質でレンガに適していたこと製品である煉瓦を運搬するのに有効な ロケーションだったせいである。明治・大正期の全盛期には鶴見川の船便で東京駅や丸の内や銀座のビル街、横浜の赤レンガ倉庫など官庁街の建設現場に多く出荷された。

大正14年(1925年)に当時の鉄道省(旧国鉄)が建設計画を打ち出した当時、京浜工業地帯の発展が著しく、原料や製品を運搬するための輸送路の確保が急務で昭和4年(1929年)新鶴見操車場として始動した。
かつて新鶴見操車場として東洋一の規模を誇っていた。 1984年、すなわち国鉄分割・民営化前に、物流の主軸が「鉄道から車」へ移り国鉄が「ヤード方式」の貨物輸送を全廃したため、広大な土地が不要とされ、ここに残ることになった。この新鶴見操車場跡地は川崎市と横浜市にまたがっており、長い間空き地だったが、横浜市側は病院、新鶴見小学校、商業施設、公園などが建てられた。

ニケ領用水http://www.city.yokohama.lg.jp/tsurumi/information/introduction/history/no14.html
矢向と江ヶ崎の子どもが自分の住むまちの歴史をははなせるようになってほい。


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